こじんじょうほう

ここでは普通の話しかしません

youthful uselessness

改めて考えると一体あれはなんだったんだろう、と思うことが人生にはある。

通っていた高校の、同じクラスにいた不良たちのことを思い出す。母校は中高一貫進学校で、男子校だった。そしてクラスの2〜5割(どこまでの「ワル」をボーダーラインに設定するかで比率は変わる)が不良グループであった。

最初に断っておくが、これはよくある「昔はワルだった」的な武勇伝の類ではない(そもそも自分の話ではない)。また、かつて行われた悪事の告発を目的とするものでもない。そういう議題として俎上に乗せるには、これはあまりにも馬鹿馬鹿しい話だからだ。

不良の男子高校生と聞くと、隠れて煙草を吸ったり、弱者から金を巻き上げたり、ケンカやナンパに明け暮れたり…といったイメージがあるかもしれない。しかしそれは往年のアニメや漫画に登場するステレオタイプな、かつデフォルメされた不良像であり、実像とは異なっている。

実態はもう少し複雑で、わけがわからない。

たしかにステレオタイプな不良はいた。目が合うと「なに見とんねん」と凄んでくる(よく忘れられがちだが私の出身は関西である)者がいて、あわてて視線を逸らすのだが、とくに殴られたりすることもなく会話は必ずそこで終わる。「なに見とんねん - What do you see?」は疑問文であるが、答えを追及されたことは一度もなく、無視したことを咎められた経験もない。一方的に「なに見とんねん」の語が発せられ、こちらがそれを既読スルーした形になる。今思えば、きっと彼らは彼らなりに「不良たる者かくあるべし」的な義務感から、いかにもな言葉を発していただけなんだろう。鳴き声のようなものなのかもしれなかった。

もちろん(もちろん?)煙草を吸う不良もいた。今では考えられないことかもしれないが20年前の学校は職員室へ足を一歩踏み入れれば教師たちの燻らせる紫煙が漂っていた。そして偏差値60台後半〜70に届こうかという頭脳明晰な不良は、自分たちの身体から発せられる煙草臭さをヘビースモーカーが知覚できないことを知っていた。この理論を自慢気に語り「誰が最も授業開始ギリギリまで喫煙して戻って来られるか(かつ臭いでバレないか)」のチキンレースに興じる姿を教室の隅で眺めながら、なんという高度な頭脳戦なのだろうと嘆息を漏らすしかなかった。相手と同種のにおいを身にまとって天敵の目をかいくぐるとは、もはや野生動物の擬態である。いい悪いとかじゃなく素直にスゲーと思った。

しかも現実問題、喫煙というやつは現行犯か物的証拠なしには疑わしくとも罰することができないため、教師はホームルームの場で「卒業式までに必ずお前を捕まえてやる」と宣告し、不良は不良で「そう簡単にボロは出さねえ」と挑発し、なんだかルパンと銭形みたいな奇妙な関係性まで生まれていたりした。なお、この宣告をした教師はあるとき全校朝礼の壇上にくわえ煙草で上がり、たっぷりと間を使って煙を吐いてから「どうです? 不快でしょう? …だからこんなもの、やるんじゃねえぞ!」と一喝する非常にアバンギャルドな説教によって良くも悪くも忘れがたい名物教師として生徒の記憶に刻まれた。多分、どいつもこいつもGTOの読みすぎだったんだ。

 

と、ここまではまあ多少アクの強さこそあれ、不良男子高校生のエピソードとしては予想の範疇に収まることだろう。改めて考えると一体あれはなんだったんだろう、というのはこれからが本題だ。

教室内のパワーバランスを掌握し、絶対者として振る舞う自由を手に入れた不良グループの間で爆発的に流行したのは、あらゆる単語の最初の母音をイに変えることだった。

2回聞けばわかる種類のことではないと思うが、もう一度言う。

 

不良グループの間で爆発的に流行したのは、あらゆる単語の最初の母音をイに変えることだった。

 

たとえば、「ラーメン」のことを「リーメン」と言い、「なるほど」を「にるほど」と言う。同級生の栗本をキリモトと呼ぶ。ただそれだけである。島田のようにそもそもイ音で始まる名前はシメダと呼ばれたり、木村がケムラとなったり、かと思えば森田はそのままモリタだったり、規則性は不明だが呼称のゆれは少なく、なんらかの統一規格による意思疎通がなされていた。ブームは高1の秋口ごろから自然発生的に始まり、そのまま高3の終わりまで緩やかに続いた。

改めて考えると一体あれはなんだったんだろう。共感できないとか理解できないとかいう話でもなく、マジでわからないのだ。

母校が一応進学校だったこととはどの程度関係あるのだろう。あんまり関係ないと思いたいが、ただでさえ奇人変人が集まると県内で評判の学校だったので、その傾向が如実に出てしまったのだと思う。敷かれたレールに抗い、叛逆することが不良高校生の使命ならば、彼らは主に言語的な側面からその使命を果たそうとしていた。言葉の母音をイに変える以外にも、仲間内でのみ流通する多数のスラングを次々に発明していった。

 

覚えている範囲で、いくつか実例を挙げる。

【ヤミで】…秘密で。内緒で。こっそりと。学校への持参が禁止されている物品(漫画や煙草など)を持ち込む行為を主に指して使われ始めたが、受験戦争が本格化するにつれ「ヤミで(実は)理系」「ヤミで(マジで)90点取った」「センター、ヤミ(自信ない)」など次第に意味を拡大してゆき、拡大しすぎて逆に意味のない接頭辞と化した。

【超越】…「おまえ超越してんなあ」「はあ?超越なんやけど」などの用法があった。感嘆の文脈で、単に「超越…」とだけ吐き捨てるように言うケースもあり、今でいう「スゴい」「ヤバい」「エモい」に相当するものと思われる。「強烈」と同じようにチョウの部分に強いアクセントを置き、ほんとうに超越したのだという感覚が語感によって表現される。

【まったくもって負ける気がしません】…なぜこれだけ敬語なのか。使われる文脈は謎に包まれており、相槌・煽り・感心・賞賛など多岐にわたってほとんど万能語として機能する。終期は面倒になってきたのか単に「まったくもって」とだけ言われることもあった。

【いいねえ】…当時のアコムのCM「ラララむじんくん」からの引用。唯一、ルーツが明らかになっているフレーズである。単体ではポジティブな言葉であり、それ相応の明るくハキハキとした音で発話される。声高らかに「いいねえ!」を連呼する不良たちに授業の進行が妨害され、耐えかねた教師が叱りつける声も別の「いいねえ!」という快活な声で掻き消される、といった珍妙な事態がしばしば発生した。たしか江戸時代にこんな名前の暴動があったような気がしている。それに起源も用法も全く違うとはいえ、この言葉はのちに圧倒的な市民権を得ることとなるため、彼らには先見の明じみたものがあったのだと言わざるを得ない。

 

自分はそのグループに属していたわけではないので(教室の端で震えながら聞き耳を立てていただけだ)、どんな経緯でこのブームが生まれたのか知る由もない。われわれが観測できるものは常に結果だけで、そこから類推できる範囲には限りがある。また、己の無知ゆえに意味不明な言動と映っているだけで、本当は当時(90年代中盤)の不良少年にとってカリスマ的存在の何者かが全国的に流行らせた文化である可能性もないとは言いきれない。世代的にはダウンタウンなどの影響が最も色濃い時期のはずだが(そして自分も当時そこそこ詳しかった自負はあるが)こんな語彙は聞いたことがない。全くのオリジナルなんだとしたら独創性・影響力・ブームの持続力、どれをとってもかなりのものであり、私は書き進めるうちにだんだん民俗学的な興味が出てきてしまった。