こじんじょうほう

ここでは普通の話しかしません

滅裂のレッスン

うわさのベーコンという単語を年に一度のペースで検索してしまう発作が、十数年ほど前から続いており、つい最近も、その発作が起きてしまった。

うわさのベーコンとは2000年ごろに発売された小説のタイトルだ。小説のタイトルなので、数多ある他の小説のタイトルと同様、検索すれば読んだ人の感想などがちらほらと出てくるのだけど、一貫しているのはこれが「平成の奇書」のひとつであるという事実だ。

うわさのベーコンを私は読んだことがない。いや、読んだことはあるかもしれない。十数年前、同じ発作に見舞われて検索したとき、どこかのサイトにその全文が掲載されていた記憶があるからだ。いわゆる違法アップロードのような、本のページをスキャンして貼り付けてあるようなサイトではなく、テキスト(選択すればコピー・ペーストができる形式)で書かれており、前後へのページ送りのボタンが存在し、HTMLにして20ページ程度に分かれていた。その当時から私は「うわさのベーコン」への興味を募らせていたので、はっきりと覚えている。しかし、それがどんなサイトだったのかはわからない。出版社の公式ではなかったように思う。それにしてはページの装飾が少なすぎたからだ。個人の読者がブログに全文転載していたのだろうか? 確証はないが、それも違うような気がする。ブログだったらブログ自体のタイトルがあるはずで、あったならそれを覚えているはずだからだ。私の記憶に残っているそのサイトは、デザインらしきものはほとんどなく、ごくごくプレーンなHTML文書がそうであるような白地に、主張のないフォントの黒文字で「うわさのベーコン」の全文だけが載っていたように思う。私はそれを当時ガラケーで読んだ。ページ送りの挙動がうまくいかず難儀したのを覚えているからだ。その当時すでに私は「うわさのベーコン」への興味を募らせていたので、そんなサイトがあったのなら間違いなく全文に目を通したはずなのである。

なにより、私は2000年ごろ実際に書店で「うわさのベーコン」を手に取り、数ページ程度、立ち読みで済ませている。これもかなり自信のある記憶だ。それを手にした書店は当時住んでいたアパートの最寄り駅に程近いところで、私は日々、大学の行き帰りにそこへ立ち寄るのが習慣でもあった。そういう確実なエピソードに紐づいているから、覚えているのだ。この本は発売当時から「平成の奇書」に準ずる扱いを受けているというか、そういった評判も込みの鳴り物入りで出版されたので、どれ、どんなものだか一度読んでみようじゃないかと手を伸ばしたのに違いない。立ち読みで済ませたのは、買うまでに至るほどの興味が当時はまだなかったというだけのことだ。たしかに奇書ではあったかもしれないが、のちに絶版となり、これほどのうわさが飛び交う稀覯本にまで進化するなどとは、販売中は思いもしないのが世の常である。

これだけ明瞭な記憶が2つあるにもかかわらず、私は「うわさのベーコン」を読んだことがないのではないかという気がしている。不覚にも私は、「うわさのベーコン」という小説が持つ性質について理解していながら、その本質にたどり着けていない。その意味で、まだ「読んだ」とはいえない状態なのではないか、と思っているのである。

立ち読みが1回、ガラケーに表示されたネット上の文章で1回。どちらも本の読み方としてはフェアな方法とは言い難いからなのか、あまり奇妙さを感じることなくスルッと読んでしまった。やはりどうしても紙の本で、それもじっくり腰を据え、向き合って読まなくては感じ取れない凄味があるはずなのだ、うわさのベーコンには。

そして、読んだことがないにもかかわらず、「うわさのベーコン」は私が到達してみたかった文章の境地を体現した作品であるという確信を、なぜか私は持っている。

 

いまネット上でざっと目を通して確認できる感想の中では、このnoteが最も自分と「うわさのベーコン」に求めているものが近いように思える。

note.com

うわさのベーコンが素晴らしいのは、小説を書くための途上で真っ先に修正され、切り捨てられていくはずの、誤字脱字や文法の間違いといったものが元の姿のまま尊重されて残っているところにある。しかも同人誌や個人出版ではなく、きちんと出版社の編集部を通して書籍化されたにもかかわらず。

正しい文章を書くための方法は検索すればいくらでも見つかるし、実用書のようなものも山ほど出版されている。つまり、努力や技術次第で「正しい文章」は誰でも書けるようになるとされている。ところが逆に、間違った文章の書き方を教えてくれる人はどこにもいない。必要ないからだ。

でも、間違った文章は「必要ない」からといって「存在しない」わけではない。今も世界のどこかに、どうしようもなく存在してしまっている。そういう存在に光を当てることができないで何が文学か、という思いがある。だからこんなにも読みたいと思うのかもしれない。

うわさのベーコンはWikipediaにも登録されているのだが、そこには多分に皮肉を含んだ言い回しで、この「平成の奇書」の末路が描かれていた。

2000年代後半以降、インターネットが普及し、誰でも誤りを含む文章を容易に公開できる世の中になると、うわさのベーコンのインパクトも薄らいで行った。

2000年に出版されて現在は2022年。とっくの昔に絶版となり、中古でも1万円を超えるほどの奇書となって以来、読むことを半ば諦めかけていたのだけど、どうやら豊島区の図書館に蔵書があるらしいことを最近知ってしまった。しかも豊島区の図書館は区外の人間でも貸出カードを作れると聞いた。もしかしたら、20年越しに感動の再会を果たせる日は近いのかもしれない。

 

 

普通こういうブログは読み終わってから書くもんなんだよ。