こじんじょうほう

ここでは普通の話しかしません

健診八景亡者戯

人間ドックの季節がやってきた。

いや、季節性のものなのかどうかはよく知らない。年中やってるものなのかもしれない。が、うちの会社はこの時期に申し込むのが通例になっているというだけの話だ。

もう若くはないし常に万全な健康状態でもないので、人間ドックの受診には緊張が伴う。人より少しだけ想像力が豊かなものだから、検査結果を見た看護士たちが血相を変え、その場で即入院を言い渡される…という展開もゼロではないと思ってしまう。限りなくゼロに近いが、ゼロに等しいわけではない以上そうなる可能性には怯えておく必要がある。この世に絶対なんて絶対にないのだから。

人間ドックの実施場所は複数あるため、どこでもそうなのかは分からないが、ここ3年ほどお世話になっているところは検査服に着替える段取りがある。茶色っぽくて生地の伸びが良く、フリーサイズを謳っている割には妙に丈の短い、へんな服。施設内は暖房が効いているので寒くないものの、親の形見でも守るみたいに肌身離さず着込んでいるヒートテックをすべて脱ぎ捨て、両手両足七分袖の格好で冬場の医療機関内をうろつくのは、体調に気を遣っているのか我慢大会にエントリーしているのか、よくわからない複雑な気持ちになる。

検査の順路は決まっていて、左肩に着けた番号と同じ番号を呼ばれたらその部屋に入る。身長・体重・血圧といった基本中の基本から始まり、採血があり、視力・聴力検査がある。視力検査は昨年度よりずっと良い結果だった(メガネ変えましたか?とも尋ねられた)が、PC画面と睨み合ってる合計時間のことを考えれば素直に受け止めていいものか迷ってしまう。円の開口部が上下左右どちらにあるか答えるだけの四択問題なので、たとえ視認できなくても適当に答えるだけで正解を叩き出せる可能性は25%存在してしまう。もちろんこれはクイズではないし、見えないなら素直に見えないと言えばいい話なのだけど、自分の場合は大いに乱視が入っているので、見えている円の開口部が本当に「そっち側」なのか自信が持てないだけのケースもあり、よくないとは思いつつ当てずっぽうに答えてしまう場合があるのだ。そんなわけで、今日は視力じゃなく単にくじ運が良かった日なのかもしれない。

視力検査を終えると次は眼底・眼圧検査が待っている。これはずっと疑問に思っていることなんだけど、みんな眼圧の検査をどうやって耐え忍んでるんだ? 生まれて初めて眼圧検査を受けた時のことは今でもよく覚えているし、今でも強く憎んでいる。事前に何の説明もなく無邪気に機械の中身を覗かせて、完全に油断している眼球をいきなり空気弾で狙撃するなんて、あんな、あんな行為が許されていいってのか、え? 時計仕掛けのオレンジと何が違うんだ?

見知らぬ大人から、それも世間的には一定の信用を得ている「医者」という職業の人間から受けた不意打ちの暴力の名が眼圧検査だということは、そのときに覚えた。以来、眼圧を測ると言われるだけで眼球が竦み、まぶたが震え、まばたきの回数がひどく多くなるようになった。それでもトラウマを理由に眼圧検査が免除される制度は、この国には未だ存在しない。行政にはもっと頑張ってもらいたい。

眼圧検査への強い恨みと憎しみに比べると、眼底検査についての認識は希薄だ。3年連続同じことをしているはずなのに、いまいちどういう検査かわかっていない。あまり記憶に残らないということは、こちらは痛みを伴うようなものではないのだろう、との推測は成り立つが、番号を呼ばれて向かった部屋の入口には「眼底/眼圧」と書かれており、中は他の部屋と比べてやや薄暗く、似たような形の機械が二つ横並びに設置されていた。

どちらかが眼圧計で、もう片方が眼底計だ。そこまでは論理的にたどり着ける。問題は、どちらが眼圧計か、ということだ。残念ながら、外見で区別ができるほど医療機器には詳しくない。

「ではまず、こっちからお願いします」と向かって左側の機械をすすめられる。何を測定する機械かの説明はされなかった。あんたらはいつもそうだ。いっつもそう。どうせ両方やるんだから説明しなくても一緒だとか思っているのか。くぬやろう。こっちにはなあ、こっちには心の準備ってやつがあるんだよう。

機械の前に座り、皿状になったプラスチックパーツの上に顎を乗せ、丸いレンズの位置に眼球を添えた。ほとんど真っ黒な画角内には赤いランプと、緑色で示されたX字形のデジタル信号のみ。ドット絵のインベーダーゲームみたいだ、なぜだかそう思った。「緑のバッテンの中心を見ていてください」という指示が来る。これが眼圧計か眼底計かはまだわからない。わからないものを見つめ続けなければならない。瞳の奥に緊張が走る。バッテンというのもなんだか不吉だし、それに、その赤ランプは一体どういう意味だ。というか、なんで赤なんだ。攻撃色だぞ。牛が突っ込んでくる色だぞ。不吉だ。不吉だ。ああ不吉だ。

「もっと大きく目を開けられますか」

「前髪を上げてもらうといいかもしれませんね」

「まつ毛が影になっちゃってるんでしょうかね」

こちらの眼球に空気砲を撃ち込まれる恐怖など知る由もなく、とにかくもっと緑のバッテンにまっすぐ向き合え、逃げるんじゃないといった意味のことを、さまざまなオブラートに包みながら繰り返し告げられる。最終的には自分の指でまぶたを固定するよう指導までされ、ようやく死ぬ覚悟を決めた瞬間、目の前に閃光が走った。驚いたが、痛みはない。つまり、こっちが眼底計だったのだ。先に教えておいてくれたらこんなに躊躇しなかったのに! ほんでこのあと眼圧もあんのかい!

結局オドオドのせいで正確な結果が出ず、眼底は3回、眼圧は4回も計測し直して部屋を後にした。うっすら背中に汗までかいていた。それからは聴診器、腹部触診、心電図、胸部X線とスムーズに進み、超音波検査の番を待つ。

超音波、ウルトラソニック・ウェーブ。幼いころからテレビや特撮映画を通じて見聞きした中でも桁外れにかっこよく、それでいて実態のつかめなかった言葉。必殺技の名前にも使われていそうなそれは、実際にはとても地味な検査である。腹部にゼリー状の薬品を塗布され、ローラー状の機器でごしごしと擦られるのを、ただじっと耐えるだけだ。

「息を吸ってくださーい…息を止めてくださーい…吐いてくださーい…」

検査中の指示はこれだけだが、そこそこ強い力でローラーを腹に押し当てられるので、時折うぐっという声が出てしまいそうになる。何度か同じ指示を繰り返すうち、言葉は変容し、簡略的になっていく。

「息を吸いまーす…はい止めまーす…はい楽にしてくださーい…」

息を吐く、が楽にする、へと言い換えられたのは意外だったが、じっさいに指示通り行動するとしっくりくる。呼吸を止めた状態から再開すると確かに楽になるからだ。室内は暗く、検査を受けている間は他にすることも考えることもないので、ついつい技士の細かい言葉遣いに意識が向いてしまう。そして内なるツッコミの人格が顔を出す。

「はい息を吐いてくださーい」

急に? まだ吸ってないんだけど急に言わないで?

「息を吸ってー…止めてまーす」

いや主語は?? 止めているかどうかはこっちの匙加減じゃない?

「はい楽にしてまーす」

楽にしないで??? 仕事中だよ???

一番の問題は、こんなことを考えていると我慢できなくなってくるということだ。自分が「医者と患者」コントの登場人物にでもなったような感覚になり、腹の底から笑いが込み上げてきて、噎せたり、息を止めて誤魔化そうとしてしまう。それで呼吸のリズムが狂い、新たな指示の言葉が飛んでくる。その言葉にも内心でツッコミを入れてしまい、更なる失笑のウェーブに襲われる。マスクをしたままで本当に良かったと思う。口角を見られたら一発でアウトだっただろう。

どうにか超音波検査をやり過ごすと、最後の最後、ラスボスのように胃部検査が待ち受けている。まだカメラを飲み込む度胸は決まらないので、バリウムを飲んでX線撮影をしてもらっている。なにしろ私は旧い世代の人間なのだ。親戚の家で触らせてもらったニコンの一眼レフはとても重く、テレビや映画の撮影クルーが抱えるビデオカメラは人間の頭部より大きかった、という幼き日のイメージが定着している。デジカメの小型化・軽量化やドローン技術の発展に理解は示せても認識がついて行かない。胃にカメラを入れると聞いて、条件反射で最初に思うのはやはり「あんなデケェもん呑めるかよ」だ。カメラを呑ますな。そんな映画は一度も始めなくていい。

バリウムについては巷で流れる噂ほど酷くない、というのが正直な感想だった。ハトのフン飲んでるみたい、といった声も聞いていたからどんなものかと身構えていたが、個人の感想でいえばそこまで不味くない。かすかな甘みも感じる。フライパンを熱する前のホットケーキミックスを飲んでいる、といったほうが近いかもしれない。飲んだことはないが。

問題はそのあとだ。

X線撮影では、被写体本人(つまり私)以外は撮影室に常駐しない。壁や窓を隔てたところからマイクを使って指示を飛ばすようになっている。というわけで炭酸粉末を口に含んだ私は一人、撮影室に取り残され、スピーカーから聞こえてくる撮影技師の言葉に従うしか選択肢を持たない。

「コップは持ったまま、体ごと少し左を向いてください」

「もう少し左です」

「あごを上げてください」

紙コップを顔の高さまで掲げ、やや上方を向き、真正面ではなくやや左に体を傾けて立つ。そして撮影の時を待つ。この状態は、そしてこのポージングはなんだろう。バリウムのCMでも撮ってんのか?

「はい、ではバリウムを半分、飲んでください。ごく、ごく、ごく」

ついついザ・ドリフターズの健康牛乳コントを思い出してしまう。ここで吹き出してしまうのはどう考えてもよろしくないので、我慢する。なにしろゲップすら出してはいけないのだ。炭酸をたっぷり嚥下したのにだぞ。ありのまま健康に生きていくための診断なのに、さっきから生理現象に逆らってばかりじゃないか。「罰ゲーム」なる概念を最初に発明したバラエティ・ディレクターの、インスピレーションの源泉は意外と人間ドックだったのではなかろうか。

バリウムを飲み干し、空いた紙コップを規定のスタンドに置くと、機械が動き出す。まず背中を預けていた壁が轟音とともに回転し、水平方向へ倒れ始めた。壁ではなくベッドだったのだ。必要最低限のものしか置かれていない部屋なので、まわりを見ても傾斜の程度は判然としない。重力の感覚と、肩に食い込む補助板の圧迫感と、手すりをつかむ自分の握力の強さと手汗の量だけがヒントだ。そして、わからないままに次の指示は来る。

「右回りに2回転してください」

休日に布団でゴロゴロするのとはわけが違う。ちっともふかふかしない殺風景な金属板の上で、炭酸とバリウムで膨張した腹をかばいながら全身を回転させる。

「もう1回転してください」

次第に判断力が麻痺し、自分が何をしているのか、よくわからなくなってくる。なぜ私は高速で回っているのだろう? せめて音楽を流してくれ。電気を消してくれ。そしてミラーボールでも回してくれ。だったらまだ、パフォーマンスとして割り切れる気がする。

「バンザイしましょう」

「うつぶせになって」

「今度は右を向いてください」

マイクで増幅された天の声が室内に響く。矢継ぎ早に指示は来て、そのたびに体勢を変えさせられる。そして、シャッター音こそ聞こえないものの、これらの様子は逐一、撮影されている。これはなんだ、なんの雑誌だ? なんの雑誌の巻頭グラビアだ?

「ちょっとお腹押しますね」

え、なんで? なんで? なんでなん??

ロボットアームのようなものが伸びてきて、ゴムボール状の先端が腹部にぐいと刺さる。痛みはなかった。意味もわからなかった。

「はい、おつかれさまでした」

ベッドの角度が垂直に戻っていく。待ち侘びた日常が帰ってくる。ようやく疑似宇宙遊泳を終えて地上に降り立つとすぐ、下剤を4錠手渡され、そのうちの2錠を今すぐ飲むよう促された。

検査はこれですべて終わりだ。結果は年内か、遅ければ年が明けてから知らされるという。身長は去年より0.3センチ高くなっていた。