こじんじょうほう

ここでは普通の話しかしません

ベイビーシャルウィーご唱和

私事ですが誕生日を迎えたので(よせやい、祝いの品なんていらねえぜ、でもどうしてもって言うなら受け取ってやらんこともない)、その翌日ラーメンを食べに出かけたのだった。

十数年前に住んでいた家の近所にある、その当時足繁く通った…というほどでもない、まあ年に2、3回くらいは行ってたかもな程度の、特段強い思い入れがあるわけじゃない、チェーン展開もしているラーメン屋。なぜか昼飯のパンを食べている最中に突然電撃が走ったようにその店のことが思い出され、仕事を定時ぴったりで終えた後、謎の使命感に操られるみたいにしてそこへ向かった。最寄りの駅からは徒歩で約12分、冬の風が吹き荒ぶ路上から店内へ足を一歩踏み入れれば暖房のありがたみは救世主のようであり、そりゃあメガネだって瞬時に曇る。カウンター席に案内され、十数年前には存在しなかったタッチパネルをしばし左右にスワイプしたのち、ネギどっさりのラーメンを注文する。誕生日なのだから少しくらい人の道を踏み外したって構うまいと餃子まで付けた。1500円以内なら金に糸目はつけない。

案内されたカウンター席の正面には厨房があり、レジ側から見ればちょうど裏側に位置している。そしてレジを挟んでさらに向こうにテーブル席がある。私はちょうどテーブル席に背を向ける形で座り、食べても食べてもネギの減らないラーメンを啜っていた。

事件はラーメンをあらかた食べ終えた頃に起こった。

「じゅーうーす、じゅーうーす」

背後のテーブル席から声が聞こえてくる。何度も書くがカウンター席はテーブル側に背を向けているので、体ごと振り返らない限り姿は確認できない。わざわざ振り返ってまで見るのもおかしな話なので確かめはしなかったが、おそらく声の主7~8歳くらいの子供だ。それも1人ではない、少なくとも2人か3人はいる。複数の7~8歳児による男女混声がユニゾンで重なり合い、立体的なサウンドを構築しているのだった。

「じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす」

推測でしかないけれど、子供たちはジュースを注文したいのだろう。それを店まで連れてきてくれた親に訴えかけているのに違いない。つまり駆け込み訴えである。いや駆け込み訴えではない。断じて。

「じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす」

それにしても不思議なのはジュースコールの音程だ。複数人いて誰ひとり音を外しておらず、「合唱」としては完璧なバランスを保っているにもかかわらず、その声には抑揚が全くない。ジュにもウにもスにもアクセントが置かれていない。フラットというか棒読みというか、ジュースを飲みたいという欲望が声色から感じられないというか。野球ファンの父親に無理やりスタジアムへ連れてこられた子供が意味も分からず選手の名前を連呼させられているかのような、そんな感じの発声だった。

「じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす」

メトロノームかと見紛うほど一定のBPMを維持したまま、ジュースコールは1分以上も続いた。さすがに何かがおかしい。普通は途中で親に制止されたり怒られたりして断続的になるものだろう。それが1秒も途切れることなく1分続くなんてことがあるだろうか。トイレに立つふりをして自席を離れ、テーブルを見た。

4人いた。

4人の子供と父親と母親。両親が並んで座り、その向かい側に4人の子供が並んでいる。そして4人が同時に「じゅーうーす」と繰り返している。こういう駄々捏ねの際にはセットになるはずの身振り手振りもなく、とても行儀よく椅子に座りながら。声の印象通り、その顔からはジュースに対する執着など微塵も感じられなかった。どういうことなんだこれは。

トイレから戻ってくる頃には家族はテーブルから消えていた。時間から考えるにジュースは注文しなかったのだと思われるが、どうやって収束したのだろう。もしかしてジュースが欲しくて叫んでいたのではないのか。私に見えないだけで、すぐそこでテニスの試合でも行われていたんだろうか。