こじんじょうほう

ここでは普通の話しかしません

ベイビーシャルウィーご唱和

私事ですが誕生日を迎えたので(よせやい、祝いの品なんていらねえぜ、でもどうしてもって言うなら受け取ってやらんこともない)、その翌日ラーメンを食べに出かけたのだった。

十数年前に住んでいた家の近所にある、その当時足繁く通った…というほどでもない、まあ年に2、3回くらいは行ってたかもな程度の、特段強い思い入れがあるわけじゃない、チェーン展開もしているラーメン屋。なぜか昼飯のパンを食べている最中に突然電撃が走ったようにその店のことが思い出され、仕事を定時ぴったりで終えた後、謎の使命感に操られるみたいにしてそこへ向かった。最寄りの駅からは徒歩で約12分、冬の風が吹き荒ぶ路上から店内へ足を一歩踏み入れれば暖房のありがたみは救世主のようであり、そりゃあメガネだって瞬時に曇る。カウンター席に案内され、十数年前には存在しなかったタッチパネルをしばし左右にスワイプしたのち、ネギどっさりのラーメンを注文する。誕生日なのだから少しくらい人の道を踏み外したって構うまいと餃子まで付けた。1500円以内なら金に糸目はつけない。

案内されたカウンター席の正面には厨房があり、レジ側から見ればちょうど裏側に位置している。そしてレジを挟んでさらに向こうにテーブル席がある。私はちょうどテーブル席に背を向ける形で座り、食べても食べてもネギの減らないラーメンを啜っていた。

事件はラーメンをあらかた食べ終えた頃に起こった。

「じゅーうーす、じゅーうーす」

背後のテーブル席から声が聞こえてくる。何度も書くがカウンター席はテーブル側に背を向けているので、体ごと振り返らない限り姿は確認できない。わざわざ振り返ってまで見るのもおかしな話なので確かめはしなかったが、おそらく声の主7~8歳くらいの子供だ。それも1人ではない、少なくとも2人か3人はいる。複数の7~8歳児による男女混声がユニゾンで重なり合い、立体的なサウンドを構築しているのだった。

「じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす」

推測でしかないけれど、子供たちはジュースを注文したいのだろう。それを店まで連れてきてくれた親に訴えかけているのに違いない。つまり駆け込み訴えである。いや駆け込み訴えではない。断じて。

「じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす」

それにしても不思議なのはジュースコールの音程だ。複数人いて誰ひとり音を外しておらず、「合唱」としては完璧なバランスを保っているにもかかわらず、その声には抑揚が全くない。ジュにもウにもスにもアクセントが置かれていない。フラットというか棒読みというか、ジュースを飲みたいという欲望が声色から感じられないというか。野球ファンの父親に無理やりスタジアムへ連れてこられた子供が意味も分からず選手の名前を連呼させられているかのような、そんな感じの発声だった。

「じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす、じゅーうーす」

メトロノームかと見紛うほど一定のBPMを維持したまま、ジュースコールは1分以上も続いた。さすがに何かがおかしい。普通は途中で親に制止されたり怒られたりして断続的になるものだろう。それが1秒も途切れることなく1分続くなんてことがあるだろうか。トイレに立つふりをして自席を離れ、テーブルを見た。

4人いた。

4人の子供と父親と母親。両親が並んで座り、その向かい側に4人の子供が並んでいる。そして4人が同時に「じゅーうーす」と繰り返している。こういう駄々捏ねの際にはセットになるはずの身振り手振りもなく、とても行儀よく椅子に座りながら。声の印象通り、その顔からはジュースに対する執着など微塵も感じられなかった。どういうことなんだこれは。

トイレから戻ってくる頃には家族はテーブルから消えていた。時間から考えるにジュースは注文しなかったのだと思われるが、どうやって収束したのだろう。もしかしてジュースが欲しくて叫んでいたのではないのか。私に見えないだけで、すぐそこでテニスの試合でも行われていたんだろうか。

健診八景亡者戯

人間ドックの季節がやってきた。

いや、季節性のものなのかどうかはよく知らない。年中やってるものなのかもしれない。が、うちの会社はこの時期に申し込むのが通例になっているというだけの話だ。

もう若くはないし常に万全な健康状態でもないので、人間ドックの受診には緊張が伴う。人より少しだけ想像力が豊かなものだから、検査結果を見た看護士たちが血相を変え、その場で即入院を言い渡される…という展開もゼロではないと思ってしまう。限りなくゼロに近いが、ゼロに等しいわけではない以上そうなる可能性には怯えておく必要がある。この世に絶対なんて絶対にないのだから。

人間ドックの実施場所は複数あるため、どこでもそうなのかは分からないが、ここ3年ほどお世話になっているところは検査服に着替える段取りがある。茶色っぽくて生地の伸びが良く、フリーサイズを謳っている割には妙に丈の短い、へんな服。施設内は暖房が効いているので寒くないものの、親の形見でも守るみたいに肌身離さず着込んでいるヒートテックをすべて脱ぎ捨て、両手両足七分袖の格好で冬場の医療機関内をうろつくのは、体調に気を遣っているのか我慢大会にエントリーしているのか、よくわからない複雑な気持ちになる。

検査の順路は決まっていて、左肩に着けた番号と同じ番号を呼ばれたらその部屋に入る。身長・体重・血圧といった基本中の基本から始まり、採血があり、視力・聴力検査がある。視力検査は昨年度よりずっと良い結果だった(メガネ変えましたか?とも尋ねられた)が、PC画面と睨み合ってる合計時間のことを考えれば素直に受け止めていいものか迷ってしまう。円の開口部が上下左右どちらにあるか答えるだけの四択問題なので、たとえ視認できなくても適当に答えるだけで正解を叩き出せる可能性は25%存在してしまう。もちろんこれはクイズではないし、見えないなら素直に見えないと言えばいい話なのだけど、自分の場合は大いに乱視が入っているので、見えている円の開口部が本当に「そっち側」なのか自信が持てないだけのケースもあり、よくないとは思いつつ当てずっぽうに答えてしまう場合があるのだ。そんなわけで、今日は視力じゃなく単にくじ運が良かった日なのかもしれない。

視力検査を終えると次は眼底・眼圧検査が待っている。これはずっと疑問に思っていることなんだけど、みんな眼圧の検査をどうやって耐え忍んでるんだ? 生まれて初めて眼圧検査を受けた時のことは今でもよく覚えているし、今でも強く憎んでいる。事前に何の説明もなく無邪気に機械の中身を覗かせて、完全に油断している眼球をいきなり空気弾で狙撃するなんて、あんな、あんな行為が許されていいってのか、え? 時計仕掛けのオレンジと何が違うんだ?

見知らぬ大人から、それも世間的には一定の信用を得ている「医者」という職業の人間から受けた不意打ちの暴力の名が眼圧検査だということは、そのときに覚えた。以来、眼圧を測ると言われるだけで眼球が竦み、まぶたが震え、まばたきの回数がひどく多くなるようになった。それでもトラウマを理由に眼圧検査が免除される制度は、この国には未だ存在しない。行政にはもっと頑張ってもらいたい。

眼圧検査への強い恨みと憎しみに比べると、眼底検査についての認識は希薄だ。3年連続同じことをしているはずなのに、いまいちどういう検査かわかっていない。あまり記憶に残らないということは、こちらは痛みを伴うようなものではないのだろう、との推測は成り立つが、番号を呼ばれて向かった部屋の入口には「眼底/眼圧」と書かれており、中は他の部屋と比べてやや薄暗く、似たような形の機械が二つ横並びに設置されていた。

どちらかが眼圧計で、もう片方が眼底計だ。そこまでは論理的にたどり着ける。問題は、どちらが眼圧計か、ということだ。残念ながら、外見で区別ができるほど医療機器には詳しくない。

「ではまず、こっちからお願いします」と向かって左側の機械をすすめられる。何を測定する機械かの説明はされなかった。あんたらはいつもそうだ。いっつもそう。どうせ両方やるんだから説明しなくても一緒だとか思っているのか。くぬやろう。こっちにはなあ、こっちには心の準備ってやつがあるんだよう。

機械の前に座り、皿状になったプラスチックパーツの上に顎を乗せ、丸いレンズの位置に眼球を添えた。ほとんど真っ黒な画角内には赤いランプと、緑色で示されたX字形のデジタル信号のみ。ドット絵のインベーダーゲームみたいだ、なぜだかそう思った。「緑のバッテンの中心を見ていてください」という指示が来る。これが眼圧計か眼底計かはまだわからない。わからないものを見つめ続けなければならない。瞳の奥に緊張が走る。バッテンというのもなんだか不吉だし、それに、その赤ランプは一体どういう意味だ。というか、なんで赤なんだ。攻撃色だぞ。牛が突っ込んでくる色だぞ。不吉だ。不吉だ。ああ不吉だ。

「もっと大きく目を開けられますか」

「前髪を上げてもらうといいかもしれませんね」

「まつ毛が影になっちゃってるんでしょうかね」

こちらの眼球に空気砲を撃ち込まれる恐怖など知る由もなく、とにかくもっと緑のバッテンにまっすぐ向き合え、逃げるんじゃないといった意味のことを、さまざまなオブラートに包みながら繰り返し告げられる。最終的には自分の指でまぶたを固定するよう指導までされ、ようやく死ぬ覚悟を決めた瞬間、目の前に閃光が走った。驚いたが、痛みはない。つまり、こっちが眼底計だったのだ。先に教えておいてくれたらこんなに躊躇しなかったのに! ほんでこのあと眼圧もあんのかい!

結局オドオドのせいで正確な結果が出ず、眼底は3回、眼圧は4回も計測し直して部屋を後にした。うっすら背中に汗までかいていた。それからは聴診器、腹部触診、心電図、胸部X線とスムーズに進み、超音波検査の番を待つ。

超音波、ウルトラソニック・ウェーブ。幼いころからテレビや特撮映画を通じて見聞きした中でも桁外れにかっこよく、それでいて実態のつかめなかった言葉。必殺技の名前にも使われていそうなそれは、実際にはとても地味な検査である。腹部にゼリー状の薬品を塗布され、ローラー状の機器でごしごしと擦られるのを、ただじっと耐えるだけだ。

「息を吸ってくださーい…息を止めてくださーい…吐いてくださーい…」

検査中の指示はこれだけだが、そこそこ強い力でローラーを腹に押し当てられるので、時折うぐっという声が出てしまいそうになる。何度か同じ指示を繰り返すうち、言葉は変容し、簡略的になっていく。

「息を吸いまーす…はい止めまーす…はい楽にしてくださーい…」

息を吐く、が楽にする、へと言い換えられたのは意外だったが、じっさいに指示通り行動するとしっくりくる。呼吸を止めた状態から再開すると確かに楽になるからだ。室内は暗く、検査を受けている間は他にすることも考えることもないので、ついつい技士の細かい言葉遣いに意識が向いてしまう。そして内なるツッコミの人格が顔を出す。

「はい息を吐いてくださーい」

急に? まだ吸ってないんだけど急に言わないで?

「息を吸ってー…止めてまーす」

いや主語は?? 止めているかどうかはこっちの匙加減じゃない?

「はい楽にしてまーす」

楽にしないで??? 仕事中だよ???

一番の問題は、こんなことを考えていると我慢できなくなってくるということだ。自分が「医者と患者」コントの登場人物にでもなったような感覚になり、腹の底から笑いが込み上げてきて、噎せたり、息を止めて誤魔化そうとしてしまう。それで呼吸のリズムが狂い、新たな指示の言葉が飛んでくる。その言葉にも内心でツッコミを入れてしまい、更なる失笑のウェーブに襲われる。マスクをしたままで本当に良かったと思う。口角を見られたら一発でアウトだっただろう。

どうにか超音波検査をやり過ごすと、最後の最後、ラスボスのように胃部検査が待ち受けている。まだカメラを飲み込む度胸は決まらないので、バリウムを飲んでX線撮影をしてもらっている。なにしろ私は旧い世代の人間なのだ。親戚の家で触らせてもらったニコンの一眼レフはとても重く、テレビや映画の撮影クルーが抱えるビデオカメラは人間の頭部より大きかった、という幼き日のイメージが定着している。デジカメの小型化・軽量化やドローン技術の発展に理解は示せても認識がついて行かない。胃にカメラを入れると聞いて、条件反射で最初に思うのはやはり「あんなデケェもん呑めるかよ」だ。カメラを呑ますな。そんな映画は一度も始めなくていい。

バリウムについては巷で流れる噂ほど酷くない、というのが正直な感想だった。ハトのフン飲んでるみたい、といった声も聞いていたからどんなものかと身構えていたが、個人の感想でいえばそこまで不味くない。かすかな甘みも感じる。フライパンを熱する前のホットケーキミックスを飲んでいる、といったほうが近いかもしれない。飲んだことはないが。

問題はそのあとだ。

X線撮影では、被写体本人(つまり私)以外は撮影室に常駐しない。壁や窓を隔てたところからマイクを使って指示を飛ばすようになっている。というわけで炭酸粉末を口に含んだ私は一人、撮影室に取り残され、スピーカーから聞こえてくる撮影技師の言葉に従うしか選択肢を持たない。

「コップは持ったまま、体ごと少し左を向いてください」

「もう少し左です」

「あごを上げてください」

紙コップを顔の高さまで掲げ、やや上方を向き、真正面ではなくやや左に体を傾けて立つ。そして撮影の時を待つ。この状態は、そしてこのポージングはなんだろう。バリウムのCMでも撮ってんのか?

「はい、ではバリウムを半分、飲んでください。ごく、ごく、ごく」

ついついザ・ドリフターズの健康牛乳コントを思い出してしまう。ここで吹き出してしまうのはどう考えてもよろしくないので、我慢する。なにしろゲップすら出してはいけないのだ。炭酸をたっぷり嚥下したのにだぞ。ありのまま健康に生きていくための診断なのに、さっきから生理現象に逆らってばかりじゃないか。「罰ゲーム」なる概念を最初に発明したバラエティ・ディレクターの、インスピレーションの源泉は意外と人間ドックだったのではなかろうか。

バリウムを飲み干し、空いた紙コップを規定のスタンドに置くと、機械が動き出す。まず背中を預けていた壁が轟音とともに回転し、水平方向へ倒れ始めた。壁ではなくベッドだったのだ。必要最低限のものしか置かれていない部屋なので、まわりを見ても傾斜の程度は判然としない。重力の感覚と、肩に食い込む補助板の圧迫感と、手すりをつかむ自分の握力の強さと手汗の量だけがヒントだ。そして、わからないままに次の指示は来る。

「右回りに2回転してください」

休日に布団でゴロゴロするのとはわけが違う。ちっともふかふかしない殺風景な金属板の上で、炭酸とバリウムで膨張した腹をかばいながら全身を回転させる。

「もう1回転してください」

次第に判断力が麻痺し、自分が何をしているのか、よくわからなくなってくる。なぜ私は高速で回っているのだろう? せめて音楽を流してくれ。電気を消してくれ。そしてミラーボールでも回してくれ。だったらまだ、パフォーマンスとして割り切れる気がする。

「バンザイしましょう」

「うつぶせになって」

「今度は右を向いてください」

マイクで増幅された天の声が室内に響く。矢継ぎ早に指示は来て、そのたびに体勢を変えさせられる。そして、シャッター音こそ聞こえないものの、これらの様子は逐一、撮影されている。これはなんだ、なんの雑誌だ? なんの雑誌の巻頭グラビアだ?

「ちょっとお腹押しますね」

え、なんで? なんで? なんでなん??

ロボットアームのようなものが伸びてきて、ゴムボール状の先端が腹部にぐいと刺さる。痛みはなかった。意味もわからなかった。

「はい、おつかれさまでした」

ベッドの角度が垂直に戻っていく。待ち侘びた日常が帰ってくる。ようやく疑似宇宙遊泳を終えて地上に降り立つとすぐ、下剤を4錠手渡され、そのうちの2錠を今すぐ飲むよう促された。

検査はこれですべて終わりだ。結果は年内か、遅ければ年が明けてから知らされるという。身長は去年より0.3センチ高くなっていた。

滅裂のレッスン

うわさのベーコンという単語を年に一度のペースで検索してしまう発作が、十数年ほど前から続いており、つい最近も、その発作が起きてしまった。

うわさのベーコンとは2000年ごろに発売された小説のタイトルだ。小説のタイトルなので、数多ある他の小説のタイトルと同様、検索すれば読んだ人の感想などがちらほらと出てくるのだけど、一貫しているのはこれが「平成の奇書」のひとつであるという事実だ。

うわさのベーコンを私は読んだことがない。いや、読んだことはあるかもしれない。十数年前、同じ発作に見舞われて検索したとき、どこかのサイトにその全文が掲載されていた記憶があるからだ。いわゆる違法アップロードのような、本のページをスキャンして貼り付けてあるようなサイトではなく、テキスト(選択すればコピー・ペーストができる形式)で書かれており、前後へのページ送りのボタンが存在し、HTMLにして20ページ程度に分かれていた。その当時から私は「うわさのベーコン」への興味を募らせていたので、はっきりと覚えている。しかし、それがどんなサイトだったのかはわからない。出版社の公式ではなかったように思う。それにしてはページの装飾が少なすぎたからだ。個人の読者がブログに全文転載していたのだろうか? 確証はないが、それも違うような気がする。ブログだったらブログ自体のタイトルがあるはずで、あったならそれを覚えているはずだからだ。私の記憶に残っているそのサイトは、デザインらしきものはほとんどなく、ごくごくプレーンなHTML文書がそうであるような白地に、主張のないフォントの黒文字で「うわさのベーコン」の全文だけが載っていたように思う。私はそれを当時ガラケーで読んだ。ページ送りの挙動がうまくいかず難儀したのを覚えているからだ。その当時すでに私は「うわさのベーコン」への興味を募らせていたので、そんなサイトがあったのなら間違いなく全文に目を通したはずなのである。

なにより、私は2000年ごろ実際に書店で「うわさのベーコン」を手に取り、数ページ程度、立ち読みで済ませている。これもかなり自信のある記憶だ。それを手にした書店は当時住んでいたアパートの最寄り駅に程近いところで、私は日々、大学の行き帰りにそこへ立ち寄るのが習慣でもあった。そういう確実なエピソードに紐づいているから、覚えているのだ。この本は発売当時から「平成の奇書」に準ずる扱いを受けているというか、そういった評判も込みの鳴り物入りで出版されたので、どれ、どんなものだか一度読んでみようじゃないかと手を伸ばしたのに違いない。立ち読みで済ませたのは、買うまでに至るほどの興味が当時はまだなかったというだけのことだ。たしかに奇書ではあったかもしれないが、のちに絶版となり、これほどのうわさが飛び交う稀覯本にまで進化するなどとは、販売中は思いもしないのが世の常である。

これだけ明瞭な記憶が2つあるにもかかわらず、私は「うわさのベーコン」を読んだことがないのではないかという気がしている。不覚にも私は、「うわさのベーコン」という小説が持つ性質について理解していながら、その本質にたどり着けていない。その意味で、まだ「読んだ」とはいえない状態なのではないか、と思っているのである。

立ち読みが1回、ガラケーに表示されたネット上の文章で1回。どちらも本の読み方としてはフェアな方法とは言い難いからなのか、あまり奇妙さを感じることなくスルッと読んでしまった。やはりどうしても紙の本で、それもじっくり腰を据え、向き合って読まなくては感じ取れない凄味があるはずなのだ、うわさのベーコンには。

そして、読んだことがないにもかかわらず、「うわさのベーコン」は私が到達してみたかった文章の境地を体現した作品であるという確信を、なぜか私は持っている。

 

いまネット上でざっと目を通して確認できる感想の中では、このnoteが最も自分と「うわさのベーコン」に求めているものが近いように思える。

note.com

うわさのベーコンが素晴らしいのは、小説を書くための途上で真っ先に修正され、切り捨てられていくはずの、誤字脱字や文法の間違いといったものが元の姿のまま尊重されて残っているところにある。しかも同人誌や個人出版ではなく、きちんと出版社の編集部を通して書籍化されたにもかかわらず。

正しい文章を書くための方法は検索すればいくらでも見つかるし、実用書のようなものも山ほど出版されている。つまり、努力や技術次第で「正しい文章」は誰でも書けるようになるとされている。ところが逆に、間違った文章の書き方を教えてくれる人はどこにもいない。必要ないからだ。

でも、間違った文章は「必要ない」からといって「存在しない」わけではない。今も世界のどこかに、どうしようもなく存在してしまっている。そういう存在に光を当てることができないで何が文学か、という思いがある。だからこんなにも読みたいと思うのかもしれない。

うわさのベーコンはWikipediaにも登録されているのだが、そこには多分に皮肉を含んだ言い回しで、この「平成の奇書」の末路が描かれていた。

2000年代後半以降、インターネットが普及し、誰でも誤りを含む文章を容易に公開できる世の中になると、うわさのベーコンのインパクトも薄らいで行った。

2000年に出版されて現在は2022年。とっくの昔に絶版となり、中古でも1万円を超えるほどの奇書となって以来、読むことを半ば諦めかけていたのだけど、どうやら豊島区の図書館に蔵書があるらしいことを最近知ってしまった。しかも豊島区の図書館は区外の人間でも貸出カードを作れると聞いた。もしかしたら、20年越しに感動の再会を果たせる日は近いのかもしれない。

 

 

普通こういうブログは読み終わってから書くもんなんだよ。

そうだ 今日を、生こう。

三連休が終わろうとしており、足が痛い。明らかに歩きすぎから来る疲労の痛みだ。三日のうち最初の一日はあいにくの雨だったが、あとの二日は天気に恵まれ、私はあちこち出かけていった。

出かけるつもりなんか全然なかった。

自分ではない何者か、より上位存在の意思に体を操られているみたいに、私は二日連続出かけていた。あれが見てみたいとか、あそこに行ってみたいとか、あれを買いたいとか、あれが食べたいとか、普通は先行してあるはずの理由も動機も一切なくて、ただ自動的に、それがやむを得ない義務ででもあるかのように服を着替え、靴を履き、玄関のドアを開け、嫌になるくらい強い日差しの中を歩いていた。行くあてがないから向かう方角もまるで定まっていない。とりあえず最寄りの駅に向かい、とりあえず電車に乗る。そういえばしばらく行ってない美味しいカレー屋があのへんにあったなと思い、営業時間をスマホで調べる間に、気が付けばその駅を通り過ぎてしまっている。

仕方がないのでカレーを諦め、じゃあ自分としては珍しく映画でも見るかと最近良い評判を耳にした映画のタイトルを検索すれば、それはどうやら勘違いで公開は去年の話、すでに映画館での上映は終わっておりアマゾン・プライムで見ることができるらしいと知る。だったら家にいたほうが良かったじゃないかと不貞腐れながら額の汗を拭い、こんなに暑いのならいっそかき氷でも食べに行くのはどうだと考え直し、新宿で降りて意気揚々と目当ての甘味処に向かえば臨時休業の札。なんとなく近くに銀行があったので預金を5,000円おろす。金額に深い意味など全くない。手持ちでこれくらいあれば何かしらできるだろうという適当な算段だった。結局、GUで肌着を2枚買ってその日は帰宅した。

二日目も同様に、出かけたいという気持ちよりも家にいたくない気持ちのほうが強かった。消去法で選択された外出に目的などあるはずもなく、昨日は新宿だったから今日は池袋、くらいの気持ちで池袋へ出た。ウィンドウショッピングと呼ぶのもピンとこない、通り沿いの店の並び順を確認してまわるだけの視察みたいな散歩を小一時間続けてから、自動販売機で缶コーヒーを買い、ここを離れるとおそらくゴミ箱はもう見つからないだろうという謎の恐怖心からその場で一気に飲み干した。それから駅に戻り、脳ではなく足が命令するままに埼京線で赤羽へ出て、何をするでもなく駅近辺をぐるりと一周して改札へ戻り、今度は京浜東北線で上野を経由し、上野ではついに改札を出ることさえせず山手線に乗り換えてUターンするみたいに帰宅した。それで足が疲れている。

自宅の最寄り駅まで帰ってきてから、普段使いの100均で便座カバーと除菌ペーパーを買ったことが、おそらく唯一の有意義な行動だったと思う。電車になんか乗らないで最初からこうしていれば、徒歩約20分程度の往復だけで済んだ。ひたすら歩くだけで無駄にした二日間をもっと有効活用できたかもしれないのに。

でも、じゃあ聞くけど、有効活用と言ったって何かするつもりはあったのか?

たぶん何もない。平日はテレワーク状態なので仕事があればパソコンに向かい、仕事が終われば娯楽のためパソコンに向かい、たまに携帯を開き、飼っているカエルを眺めて、ご飯を作って、食べて、眠る。家にいることがあまりにも当然になっていて、出かけようとしても夜遅くまで外にいることに抵抗がある。だから二日とも門限が夜6時の家庭に暮らしてでもいるみたいに、日没前には家に帰ってないと落ち着かなくなってしまっている。

ここからは希望的観測込みの単なる妄想だけど、自宅から出ないことを脳が「死」とみなすようになったのではないだろうか。だから強制的に、ヒトという文化的な生物として生き返らせるために、自らを家から追い出す行動に移させたのだ。たしかに電車に乗っている間は妙な安心感があった。電車に乗っている、ただそれだけで世間一般ってやつに馴染めているふりができた。主収入源である仕事がほぼ在宅で事足りるようになったのはありがたいけれど、それはつまり言い換えれば「別に家から出なくても食っていける」ことの証明になりかねないということでもある。家を出る必要のある行為すべてが不要不急になってしまうのを、無意識のうちに脳が拒絶していたのだろう。この連休の無意味な散策にはそれなりの意味があったのかもしれない。

来週末あたり美術館とか動物園にでもふらふらっと立ち寄ってみたい気分になっている。それから冷たいお茶が一杯、こわい。

youthful uselessness

改めて考えると一体あれはなんだったんだろう、と思うことが人生にはある。

通っていた高校の、同じクラスにいた不良たちのことを思い出す。母校は中高一貫進学校で、男子校だった。そしてクラスの2〜5割(どこまでの「ワル」をボーダーラインに設定するかで比率は変わる)が不良グループであった。

最初に断っておくが、これはよくある「昔はワルだった」的な武勇伝の類ではない(そもそも自分の話ではない)。また、かつて行われた悪事の告発を目的とするものでもない。そういう議題として俎上に乗せるには、これはあまりにも馬鹿馬鹿しい話だからだ。

不良の男子高校生と聞くと、隠れて煙草を吸ったり、弱者から金を巻き上げたり、ケンカやナンパに明け暮れたり…といったイメージがあるかもしれない。しかしそれは往年のアニメや漫画に登場するステレオタイプな、かつデフォルメされた不良像であり、実像とは異なっている。

実態はもう少し複雑で、わけがわからない。

たしかにステレオタイプな不良はいた。目が合うと「なに見とんねん」と凄んでくる(よく忘れられがちだが私の出身は関西である)者がいて、あわてて視線を逸らすのだが、とくに殴られたりすることもなく会話は必ずそこで終わる。「なに見とんねん - What do you see?」は疑問文であるが、答えを追及されたことは一度もなく、無視したことを咎められた経験もない。一方的に「なに見とんねん」の語が発せられ、こちらがそれを既読スルーした形になる。今思えば、きっと彼らは彼らなりに「不良たる者かくあるべし」的な義務感から、いかにもな言葉を発していただけなんだろう。鳴き声のようなものなのかもしれなかった。

もちろん(もちろん?)煙草を吸う不良もいた。今では考えられないことかもしれないが20年前の学校は職員室へ足を一歩踏み入れれば教師たちの燻らせる紫煙が漂っていた。そして偏差値60台後半〜70に届こうかという頭脳明晰な不良は、自分たちの身体から発せられる煙草臭さをヘビースモーカーが知覚できないことを知っていた。この理論を自慢気に語り「誰が最も授業開始ギリギリまで喫煙して戻って来られるか(かつ臭いでバレないか)」のチキンレースに興じる姿を教室の隅で眺めながら、なんという高度な頭脳戦なのだろうと嘆息を漏らすしかなかった。相手と同種のにおいを身にまとって天敵の目をかいくぐるとは、もはや野生動物の擬態である。いい悪いとかじゃなく素直にスゲーと思った。

しかも現実問題、喫煙というやつは現行犯か物的証拠なしには疑わしくとも罰することができないため、教師はホームルームの場で「卒業式までに必ずお前を捕まえてやる」と宣告し、不良は不良で「そう簡単にボロは出さねえ」と挑発し、なんだかルパンと銭形みたいな奇妙な関係性まで生まれていたりした。なお、この宣告をした教師はあるとき全校朝礼の壇上にくわえ煙草で上がり、たっぷりと間を使って煙を吐いてから「どうです? 不快でしょう? …だからこんなもの、やるんじゃねえぞ!」と一喝する非常にアバンギャルドな説教によって良くも悪くも忘れがたい名物教師として生徒の記憶に刻まれた。多分、どいつもこいつもGTOの読みすぎだったんだ。

 

と、ここまではまあ多少アクの強さこそあれ、不良男子高校生のエピソードとしては予想の範疇に収まることだろう。改めて考えると一体あれはなんだったんだろう、というのはこれからが本題だ。

教室内のパワーバランスを掌握し、絶対者として振る舞う自由を手に入れた不良グループの間で爆発的に流行したのは、あらゆる単語の最初の母音をイに変えることだった。

2回聞けばわかる種類のことではないと思うが、もう一度言う。

 

不良グループの間で爆発的に流行したのは、あらゆる単語の最初の母音をイに変えることだった。

 

たとえば、「ラーメン」のことを「リーメン」と言い、「なるほど」を「にるほど」と言う。同級生の栗本をキリモトと呼ぶ。ただそれだけである。島田のようにそもそもイ音で始まる名前はシメダと呼ばれたり、木村がケムラとなったり、かと思えば森田はそのままモリタだったり、規則性は不明だが呼称のゆれは少なく、なんらかの統一規格による意思疎通がなされていた。ブームは高1の秋口ごろから自然発生的に始まり、そのまま高3の終わりまで緩やかに続いた。

改めて考えると一体あれはなんだったんだろう。共感できないとか理解できないとかいう話でもなく、マジでわからないのだ。

母校が一応進学校だったこととはどの程度関係あるのだろう。あんまり関係ないと思いたいが、ただでさえ奇人変人が集まると県内で評判の学校だったので、その傾向が如実に出てしまったのだと思う。敷かれたレールに抗い、叛逆することが不良高校生の使命ならば、彼らは主に言語的な側面からその使命を果たそうとしていた。言葉の母音をイに変える以外にも、仲間内でのみ流通する多数のスラングを次々に発明していった。

 

覚えている範囲で、いくつか実例を挙げる。

【ヤミで】…秘密で。内緒で。こっそりと。学校への持参が禁止されている物品(漫画や煙草など)を持ち込む行為を主に指して使われ始めたが、受験戦争が本格化するにつれ「ヤミで(実は)理系」「ヤミで(マジで)90点取った」「センター、ヤミ(自信ない)」など次第に意味を拡大してゆき、拡大しすぎて逆に意味のない接頭辞と化した。

【超越】…「おまえ超越してんなあ」「はあ?超越なんやけど」などの用法があった。感嘆の文脈で、単に「超越…」とだけ吐き捨てるように言うケースもあり、今でいう「スゴい」「ヤバい」「エモい」に相当するものと思われる。「強烈」と同じようにチョウの部分に強いアクセントを置き、ほんとうに超越したのだという感覚が語感によって表現される。

【まったくもって負ける気がしません】…なぜこれだけ敬語なのか。使われる文脈は謎に包まれており、相槌・煽り・感心・賞賛など多岐にわたってほとんど万能語として機能する。終期は面倒になってきたのか単に「まったくもって」とだけ言われることもあった。

【いいねえ】…当時のアコムのCM「ラララむじんくん」からの引用。唯一、ルーツが明らかになっているフレーズである。単体ではポジティブな言葉であり、それ相応の明るくハキハキとした音で発話される。声高らかに「いいねえ!」を連呼する不良たちに授業の進行が妨害され、耐えかねた教師が叱りつける声も別の「いいねえ!」という快活な声で掻き消される、といった珍妙な事態がしばしば発生した。たしか江戸時代にこんな名前の暴動があったような気がしている。それに起源も用法も全く違うとはいえ、この言葉はのちに圧倒的な市民権を得ることとなるため、彼らには先見の明じみたものがあったのだと言わざるを得ない。

 

自分はそのグループに属していたわけではないので(教室の端で震えながら聞き耳を立てていただけだ)、どんな経緯でこのブームが生まれたのか知る由もない。われわれが観測できるものは常に結果だけで、そこから類推できる範囲には限りがある。また、己の無知ゆえに意味不明な言動と映っているだけで、本当は当時(90年代中盤)の不良少年にとってカリスマ的存在の何者かが全国的に流行らせた文化である可能性もないとは言いきれない。世代的にはダウンタウンなどの影響が最も色濃い時期のはずだが(そして自分も当時そこそこ詳しかった自負はあるが)こんな語彙は聞いたことがない。全くのオリジナルなんだとしたら独創性・影響力・ブームの持続力、どれをとってもかなりのものであり、私は書き進めるうちにだんだん民俗学的な興味が出てきてしまった。

ととのいはとおのいて

身体中いたるところが限界を迎えつつあったので、銭湯へ行くことにしたのだった。

などと書くと、まるで銭湯へ行くのが好きな人みたいな感じがするけれど、実際はそんなこと全然なくて、どちらかといえば苦手なのだ。だったら行かなきゃよさそうなものだが、銭湯や温泉で疲れを吹き飛ばす人が世の中には多いらしいので、自分にも同じ効能が期待できるのではないかと思ったのだった。

銭湯が苦手な理由は大きく分けて2つある。1つは、見知らぬ人の前で裸になることへの抵抗感。まあ単純に恥ずかしいというのもあるが、自分の場合どちらかというと羞恥より心配のほうが勝っていて、だって守備力がゼロになるのだぞ。人間は色とりどりの布を羽織ることで外部の刺激から身を守る性質がある。あなただって道端でつまずいて転んでしまったとき、一張羅が駄目になったかわりに擦り傷を負わずに済んだ経験があるだろう。フェンスの針金が切れて出っ張っているのに気づかずコートの裾をひっかけて破いてしまった経験があるでしょう? カレーうどんの汁が跳ねても火傷せずにいられるのは白Tシャツが身を挺して守ってくれたからでしょう? だけど裸でいると背後から、いや背後じゃなくてもいい、正面から拳骨の一つでもみぞおちへ叩き込まれたら一巻の終わりではないか。それは服を着ていても防げないか。そうか。

加えて自分の場合は眼鏡を常用している、極度の近眼である。ところが銭湯では眼鏡をしたまま湯船に入っていくわけにいかぬ。まったくの丸腰で、そのうえ相手の顔もよく見えない状態で水中へ赴くことのなんと恐ろしいことか。相手の顔が見えないのは表情がわからないということで、つまり喜怒哀楽がわからない。攻撃の意志や悪意の有無さえ感じ取れない。かろうじて体格くらいは裸眼でも大体わかるので、それだけを手がかりに浴室内を移動するほかないのだけれど、男湯に出入りするヒトビトの姿を見渡せば、まーどいつもこいつも体格が良い。戦って勝てそうなひょろひょろっとした人はあんまりいなくて、そこに自分が裸でいる心細さも手伝って、皆一様にツキノワグマウェアウルフのように屈強にみえる。そこはさながら水辺のサバンナ。唯一持つことを許された護身具は小さなタオル一枚、いざとなったらこれで戦うっきゃないのである。水気を含んだタオルはそりゃ振り回せばそこそこの武器になるだろうし、うまく扱えれば相手の手首に巻きつけるなどして鎖鎌のような戦法も取れるかもしれないが、生憎そんな特殊な格闘技には精通していない。それに相手も同じものを持っているはずで、ましてや柳生流タオル武術の使い手なんかが行く手を遮ってきた日には即敗北だ。おれはなんの心配をしているのださっきから。

そこまで心配するのなら銭湯なんて行くなよという声もよくわかる。おれだってそう思う。でも疲れているのよ。早急に整えなくてはならないのよ。

入口の券売機でセット券を購入する。チケットを受付に渡すと引き換えに、なにやら粗いメッシュ構造のバッグとロッカーの鍵を手渡された。ロッカーの鍵はぐるぐるしたバンドに固定されており、そのまま腕にはめることができる。そしてバッグの中にはタオルとバスタオル、それから勾玉のような形状をした謎の板切れが入れられていた。以上が初期装備である。冒険が始まる。

そしてここからもう1つの苦手要素が効いてくる。「銭湯には守るべき暗黙のルールとマナーが存在する」という点である。

ルールが存在すること自体に文句を言うつもりは全くない。まがりなりにも公共の場であるわけだし、ルールはあって然るべきと思う。そして可能なかぎりそれを遵守したい気持ちもある。先に書いたような「銭湯内での戦闘行為は禁止する」といったこともきっとルールに盛り込まれており、おかげで身の危険をいくら案じようとも実際に降りかかることなく済んでいるのだろう。実にありがたい。

ただ問題は、それらルールのほとんどが不文律であり、どこで教わるものでもないという点にある。常連客にとっては当然でも、ごくたまにしか銭湯に行かない自分のような者にとっては、一挙一動がルール違反かそうでないのか判別がつかない。たとえば、かけ湯の回数。たとえばシャワーを使うとき背後を通るかもしれない人への声かけの必要可否。浴場に入ったらまず湯船に浸かるべきなのか、身体を先に洗うべきなのか、その順序は個人の自由なのか。こういった一般常識を試される機会は普段の生活でも少なからずあって、そのときも自分は周りの顔色をうかがいながら行動の是非を判断するのだが、銭湯では眼鏡を外しているため周りの顔色がわからない。周囲が自分の一挙手一投足に対して適切だと考えるのか、不快を表しているのか、あるいは無関心なのか、それを察知することができない。いっそのこと違反したら即座に笛を吹いてはくれないか。警策で肩を打ち据えてくれないだろうか。

細かいルールについては各自のモラルに任されているのかもしれないが、特に重要なもの、優先的に守らねばならないことは浴場内に貼り紙が出されている。中で飲み食いをしてはいけないとか、湯船に顔を沈めてはいけないとか、勢いよく飛び込んではいけないとか。ほかにも「黙浴」なんていう、おそらく2年前までは存在していなかった単語も生まれている。そのほとんどは言われなくても守れるものばかりだが、だからといって銭湯のルールを網羅したことにはならないのだ。わが家の常識が他人の家では通じないことなど往々にしてある。なにか自分の認識の落ち度によってスルーしているルールがあるのではないかと、貼り紙をしっかり確認しようにも、眼鏡をしていないせいでそれができない。貼り紙の文字を読むのも一苦労だし、ましてや貼り紙がどこに貼られているのかを見つけることさえ容易でない。近視の人間が裸眼のままで視力をブーストしようとすると、眼の形は横に細長くなり、眉間には皺が寄る。表情は訝し気になり、下唇を突き出したまま半開きの口で遠くの壁を睨みつけると、これはもう、「とにかく喧嘩がしたくて仕方ない奴の顔」に酷似してくる。こんな顔を血気盛んな柳生流タオル武術の師範代なんかに見られた日には即敗北だ。おれはまじでなんの心配をしているのださっきから。

貼り紙にばかり注意をとられていたら、すべての衣服を脱ぎ去ったつもりでいた自分がマスクを装着したままだったことに気が付いて、慌てて脱衣所に戻る。脱衣所のごみ箱には裸眼でもわかるほど大きな字で「ここに使用済みマスクを捨てないでください」とテプラが貼られており、一度は浴室に侵入して濡れた体を拭き、脱いだ服を再び着てロビーに戻り、しかるべき場所にマスクを捨ててまた脱衣所へ。中途半端に嫌な湿り方をしてしまった服をもう一度脱いで浴室へ。ほうほうのていで髪を洗い、体を洗い、四国八十八か所を弾丸ツアーで巡るみたいに炭酸泉、水風呂、ジェットバス、シルキーバスと忙しく、別に全種類のお湯に浸かる義務などないのに、ほとんど強迫観念で湯から湯へと飛び回った。ぜんぜんこころがやすまらない。バッグの中に入っていた勾玉のような形状の板切れが、サウナ室(別料金)の扉を開ける鍵の役割を果たしていたことを知るのにも、きっちり一度の火傷を必要とした。

どれくらいの時間が経っただろう。やっと脱衣所に戻り、服を着替え、眼鏡をかけると、ようやく人間の感覚と矜持が戻ってきた。さっきまでの自分は単なる動物であった。温暖な水辺に生息する落ち着きのない哺乳類。さながらヌートリア。巻き貝を食べさせろ。

さて髪でも乾かすかとドライヤーを手に取れば今度は「3分20円」のテプラ。OK、OK、払いましょう。ルールが明示されているのは良いことだ、ルールが読める視力は良いことだ。財布を開くと10円玉は1枚しかない。両替のためにロビーへ出ていくも、自動販売機のコーヒー牛乳は売り切れていた。ところで今、自分はバスタオルを首にかけたままロビーに出てきてしまったが、これはルール違反だろうか? 脱衣所には使用済タオルを回収する専用のかごがあり、そこに返すのがマナーでありルールのはず。10円玉を手に入れるという目的があったにせよ、バスタオルを脱衣所より外へ持ち出すことは実は禁則事項だったりしないだろうか? いや待て、そもそもここで10円玉が手に入ったとして、一度ロビーに出てきた客が入浴するわけでもなくもう一度脱衣所へ戻っていくのはルール上許されていることだろうか? すでに最初のマスクを取り忘れた時点で一度やってしまっているわけで、これが駄目なら前科二犯という話になる。しかし誰も何も言ってこない。審判の笛は鳴らない。警策は飛んでこない。だからといってルール通りである確証もない。公共の場で誰かがルール違反をした場合、それが重度の犯罪でない限り人はあまり面と向かって注意しない傾向がある。注意されないから大丈夫のはず、そういう認識が過去幾度となく人に赤信号を無視させたり、原付二人乗りをさせたりしてきた歴史があるのではないか。

今一度ルールを確認したい。誰かルールを。ふつう銭湯は専属の審判を置かないので(専属でなくても置かない)、ルールに関して審判に尋ねる方法もない。尋ねるとしたら番台にいる店員にだろうが、「脱衣所から出てきてそのまま戻るのはルール違反ですか?」だなんて、答えがどうであれ変な質問をしている自覚だけは一丁前に持っているため恥ずかしさが勝ってしまう。いや、そもそも万が一、バスタオルの持ち出しがルール違反だった場合、質問をした自分の首にかかったバスタオルを見られた時点でアウトのはず。ああ塞がった。八方が塞がってしもうた。

長考の末、公儀隠密の者が人目を避けるごとく脱衣所内へ滑り込んでバスタオルを返却し、さも今おふろから上がったばかりですよという何食わぬ顔でロビーに戻り、ばさばさに濡れた髪のまま番台で鍵を返して銭湯を出た。こんなことになるなら入り口でルールブックを配布してほしい。販売でもいい。次は熟読して臨むから。

疲れが取れたかどうかについては、お願いだから訊かないでいてほしい。

Gimme some magnesium

ゆうべはこむらが来て泊まっていったのだ。

こむらとの付き合いは、なんだかんだで40年近くになる。腐れ縁と言ってしまえばそれまでかもしれない。ベタベタに仲が良いわけでもバチバチに憎しみ合っているわけでもなく、つかず離れずのなあなあな関係性のまま今日まで一緒に歩みを進めてきた。

こむらとの関係は「歩調が合う」とでも言えばいいのだろうか。僕が右足を前に出せば、こむらも右足で踏み出す。左足を出せば、こむらもそうする。一緒に歩いていて楽しいし、そういう意味では頼りになるやつだなと、僕は勝手に思っている。向こうがどう思っているかは知らないけれど。

午前7時、目覚まし代わりのいつもの音楽がスマホから流れ出し、徐々にボリュームを上げていく。The Sun Daysの"Busy People"だ。きっとアーティスト自身も意図していないであろう、休日なんだか労働日なんだかよくわからなくなる名前の組み合わせが気に入って(在宅勤務という状況にも不思議としっくりくる)アラームに設定したのだが、どんなに良いと思う曲でも毎日目覚めのたびに聴き続けると「眠りの快楽を強制中断する音」としての刷り込みが行われて嫌いになってしまう。そこの折り合いをどうつけるかが今後の課題になっていくんだと思う。

アラームを止め、ゆっくり体を起こす横で、こむらが先に起きている気配を感じた。左足が布団からはみ出している。眼鏡を外しているせいで、表情まではよく見えない。

「おはよう」

「ああ」

「やけに早いな」

「うまく眠れなくてさ」

「ずっと起きてたのか?」

「いや、寝たよ。横になって、目を閉じて…目は閉じるんだけど、閉じてるだけっていうか」

「なんだよそれ」

「だめだ、うまく言えないな。忘れてくれ」

こむらはそう言って少し笑った。こむらの肩が揺れてそう見えたのだが、本当は縮こまって震えていたのかもしれない。この時点で気づいてやることは十分できたはずだった。膝を曲げてみるとか…だけど、今となってはもう遅い。すべては仮定の話でしかない。

「始発、もう動いてるよな」

「まあそりゃ、だって7時だもん」

「だよな」

「なあ」

「うん」

「今日、なんか変だぜ、おまえ」

「そうかな」

短いくせに間をもたせられない不器用な沈黙。部屋の中はこんなにも静かなのに、心臓の音だけが聞こえない。かわりに、ふくらはぎが脈拍に似たものを感じ取っていた。嫌な予感がした。嫌だ、嫌だ。返ってほしくない。普段はなんとも思っていないくせに、こむらと別れたくない気持ちが急激に込み上げてきた。

「こむら」

「ごめん。やっぱり返るよ」

「おい」

「返る場所があるからさ」

「どうして。ずっとここにいればいいよ」

「それじゃ駄目なんだ、そろそろ返らないと」

「こむら…」

「楽しかったよ。また遊ぼうな」

「待ってくれ! こむら! 返らないで! ああああああ!!!」

激痛、そして強制的な起床。膝を抱えた姿勢のまま尾てい骨を回転軸にした数秒間のダンス・パフォーマンス。

最悪の、朝が来た。