こじんじょうほう

ここでは普通の話しかしません

サマーエモーション

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所狭しと提灯が並び、盆踊りの櫓が組まれた昼下りの小さな公園で缶の緑茶を飲んでいると、それだけで夏になってしまう。

いうまでもなく今は夏だし、すぐそこの業務スーパーで買った29円の緑茶は常温で、日陰も日向も無差別にじりじりと照らす太陽の無慈悲に額からは抗議の汗が垂れ落ちるばかりなのだが、なんというか夏の最大公約数?みたいなものを感じている。缶を傾ける、ぬるくて味のついた水分が喉の奥へ流れ落ちていく。

 

公園ではこどもらが遊んでいた。しゃがみ込んで数をかぞえる子、露店用のテントに掛けられたブルーシートの下へ潜り込む子、砂を掘り返し虫の行方を追いかける子、などがいた。

 

「もういいかーい」
「イエェーイ あだちナイス!」
「ちが、いま洗ってんだろバーーーーカ!」
「あだちー?」
「もういいかーい」
「おーい あだちー なぁー」

 

規格の違う歯車を強引に噛み合わせたような会話が断続的に聞こえてくる。たぶん彼らは全員が同じグループではないのだ、たまたま同じ公園へ来て同じタイミングで遊んでいるだけなのだろう。その証拠にさっきから「あだち」を捜す子は鬼でもないのに全然隠れようともしない。出てきてやれよあだち。

それもこれも全部ひっくるめて夏だよ。あの時はこんな公園じゃなかったけれど、細部を都合よく入れ替えればすべて自分の思い出みたいな気がしてくる。神社の境内でこっそり食べたカールの塩っぱさとか、かくれんぼで鬼にされた自分以外みんな実はとっくにご飯を食べに帰宅していたこととか、あったのかなかったのか自分でもわからない記憶が矢継ぎ早に駆け巡り、熱中症による走馬灯だったらかなわねえなと緑茶をもう一口。

 

「もういいかーい」
「あだちー あだちってー」

 

自分はいつも待たされる側だった。今でも結構そうかもしれない。待たせるより待たされることのほうが断然多い。待たせている自覚がないだけかもしれない。

 

「もういいかーい」

 

誰か、もういいよって言ってあげな。鬼だぞ。鬼が、鬼という強大な破壊者としてのプライドをかなぐり捨ててたった一言「いいよ」と許される時を待っているのだぞ。

まもなく昼休みが終わる。僕はそろそろ持ち場に戻る。

 

あだちはまだ来る気配もない。