こじんじょうほう

ここでは普通の話しかしません

ジョプリンのことは知らないけれど

多忙を理由にするのは悪い癖だけど、結局ジャニスのラストセールに行けないまま閉店の日が過ぎてしまった。

 

手元にある、2年間有効な会員証の最終更新は2015年3月。こんなていたらくでジャニスのことを語るのは分不相応と言われそうだけれども、8F時代のジャニスには本当にお世話になった。「CDの図書館」を志向しているという店構えは敷地面積に対する蔵書量が尋常ではない。パスカル・コムラード、ロケット・オア・チリトリ、ナンセンスラブレター、I hate this place、Asobi Seksu、夢中夢ネハンベース、カッターハズノーウェイ、古宮夏希&コークスが燃えている!…あそこに通っていなければ一生知らなかったであろうアーティストは勿論のこと、下手すれば一生知らない音楽ジャンルすらあったのではないかと思ってしまう。

 


そして何より、あの場所は僕の気質と相性がよかった。まことしやかに「ジャニスになければどこにもない」と囁かれるほど在庫の充実した空間と、「誰もまだ知らないものをいち早く知りたい」という物欲と知識欲が綯い交ぜになったものを抱えていた僕は。

からっぽの90分テープを友達に渡せば、その友達の好きな音楽が詰め込めるだけ詰めた状態で返ってくる。どれとどれを気に入ったか伝えると、次に貸したカセットテープはより自分の好みに近くカスタマイズされている。そういうコミュニケーションツールの一環として音楽を聴くことに出会ったのは小5の頃だった。

中学に上がり、自分で自分のお小遣いの使途を決められるようになると、田舎にしては品揃えが尖っているCDショップを「拠点」とし、月に1枚程度しか買わないくせに学校の部室よりも足繁く通い詰めた。「この曲を最初に聴く人間が自分であるようなCDが欲しい」という想いが強くあった。CDが発売され流通に乗っている時点で「この世で自分しか知らない」わけがないという簡単なことにさえ、あの頃は考え至りもしなかった。

やがて大学生になり、一人暮らしを始めれば行動半径は大きく広がり都会の大きなCDショップを知る。タワーレコードHMVヴァージンメガストアーズ(当時)。目当てのものを探しやすいよう50音順に整理された売場で僕は、まだ見出しも用意されていない「○行のその他のアーティスト」の棚ばかり漁っていた。セロファン、'else、ブラウニー、マーガリンズ、ペンギンノイズ、かまぼこ、シトロバル、アフター・ミーにライフレコーダーズ。いまでも聴き返すくらい好きなものも、名前以外ほとんど思い出せないものも。あのころ知ったバンドの7割以上は解散しているが、CDを再生すれば瞬時に彼らも現在形で「再生」できるのだ。しかも、何度でも。

iPhoneユーザーだけどAppleMusicには登録していない。Spotifyを使ってはいるけど、あれは「無料で聴き放題」というより「他人の目を気にせず占有できる試聴スペース」に近くて、そこで耳にした音楽は終わればどこかへ流れ過ぎ、所有している感覚はほとんどない。それを言い出したらレンタルだって所有には程遠いんだけど、ジャニスの棚という棚にギチギチに詰め込まれた「蔵書」たちは、たしかな質量をもって手に取られる日を待ちわびているように見えた。

ジャニスがなくなって、しばらくは寂しい日々が続くだろう。でもきっと時代は変わる。それを僕は知っているし、30年以上も生きていればイヤでも思い知る。いずれ僕らがCDを必要としなくなる日が来て、ダウンロード以外の方法で音楽を聴かなくなるかもしれない。歌詞カードなんて開かなくても検索すれば全部読める。乱暴にケースを開けてプラスチックの小さなツメが折れてしまう心配も、ケースの側面に帯を貼りつけたセロテープが経年劣化でパリパリに剥げる心配も必要なくなる。音楽を聴くときは音楽を聴くことにだけ集中すれば事足りる時代がきっとやって来て、その時まで生きていれば僕らはそれを躊躇なく受け入れるに違いない。

だからこの記事のログが、ジャニスのこともCDのことも全部すっかり忘れてしまった僕の目にふと触れて、「なにこれ」って一笑に付されるその時まで、書き残しておきたいと思ったのだった。