こじんじょうほう

ここでは普通の話しかしません

字間旅行

お座敷一箱古本市、というものに行ってきた。

馴染みのない言葉なので、後ろから順に説明していこうと思う。以下しばらくごく当たり前の説明が3段落ほど続くので、先を急ぐ方は4段落向こうまでジャンプしていただいて構わない。

 

「古本市」は文字通り、古本を売っている場のこと。古本とは出版され流通経路に乗ったあと、誰かがいったん自分の手元に所有し、再び所有権を手放した本のことを指す。

この古本市をコンパクトにした単位形態が「一箱古本市」である。出品者は箱(サイズに明確な規定はないと思われるが、行商人スタイルとでもいうか、だいたい両手で抱えきれるくらいの大きさの箱ばかりだった)ひとつに収まるだけの古本を売りに出す。

「お座敷一箱古本市」は、この一箱古本市をお座敷、つまり畳張りの部屋で行うというものだった。東京メトロ銀座線田原町駅に立地する本屋の中二階、全部で約3畳くらいのスペ―スに、計4名の出品者がめいめいに箱を並べて売り子をしていた。そこが土足禁止の空間であることは、階段を上りきったところに靴がばらばらと置いてあったことで即座に理解できた。

僕がそこへ行こうと思ったのは出品者の一人であるK君の呼びかけがあったからで、K君についてはこちらを参照してほしい。

 

propmind.hatenadiary.org

実は今度、次の文学フリマにK君が出す冊子の原稿を頼まれており、しかしまだ一文字も書き始めることができていない(最初の締切は三月末)という後ろめたさが三割、しかしK君のほうから原稿の追い立てをしてくるようなことはないであろうから、僕が率先してK君の顔を見に行き「ああ、こんな善良な人を徒に待たせるわけにはいかない」と自らを追い立てることで執筆のモチベーションを得ようという魂胆が四割、あとの五割は単なる好奇心からだった。おや、計算が合わない。

いちばん奥に位置するK君のブースには先客がいたため、ひとつ手前の出品者の箱を覗き込む。文庫本や評論・実用書などに混じって、その箱には地図帳が多めに入っていた。先にも述べた通り(ジャンプしてきた人はジャンプした3段落内で触れているので戻って読んでみてほしい)座敷はそこそこ狭いので、おのずから売り手と買い手はほぼ一対一で向き合う状態になり、単なる接客以上のものとしてコミュニケーションが自然に始まる。その箱の出品者は元図書館員で、登山が趣味であることなどを会話のなかで知る。蔵書には人柄が出るというが、人柄を知ったあとに改めて箱を覗くと、そこはすっかり「古本売り場」から「個人の書棚」に姿を変えている。

K君の部屋へはお邪魔したこともあるので、その蔵書がだいたいどんなものかは予想がついている。しかし書棚を丸ごと持ってきているわけではないし、売り物として手放すことを決めた本だけがピクニックのランチバスケットのように詰め込まれているのだ。そこはほんとうの意味での「選書」だった。手に取ればどの本どの本にも、かつてそれを欲し、所有していた人物が目の前にいるからこその内容紹介がついてくる。それは書店員のセールストークや販促用のキャッチコピーとは種類を異にする、もっと私的で密度の高い発酵生産物のようなものだった。

結局、「辻本さんは絶対に好きだと思うので最初の4ページだけ読んでみてピンときたら買ってください」と言われ、気がついたら8ページ読んでしまっていた漫画(3巻セット500円)と、そういえば持っているし読んでいた気になっていたけど読んでもいないし持ってもいなかった作家のエッセイ1冊(文庫・100円)を買って、外へ出た。

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ぺらぺらとページをめくっていたら、途中に挟まっていた紙。何かの覚え書き? 古本には人の記憶も埋め込まれる。

 

本日の釣果