こじんじょうほう

ここでは普通の話しかしません

ログは流れる、ログは残る

急に思い出したので23、4年前の話をする。

当時まだ高校生だった私はインターネット経由で知り合った、顔も本名も知らないけれど近況だけは把握している不思議な関係の人たち数名と、お互いのホームページを行き来してはBBSにコメントを残しあうという交流をおこなっていた。時代的にはテキストサイト全盛期よりもさらに少し前、今と違ってある程度HTML記法に精通していなければ個人ホームページを持てなかった頃だ。

 

そのうちの一人を、仮に「ルリハさん」としよう。本名を知らない間柄なので、そもそも偽名であるハンドルネームをさらに偽名で書くのも変な気分だけれど、インターネットにおいてハンドルネームは一種の本名でもあるわけだし、こういう扱いをさせていただく。

ルリハさんは大阪の出身で現在は東京で働いているらしい、ということを私はルリハさん自身の日記で知った(具体的に何の仕事をしていたかも知っているが、今は本筋に必要ないので書かない)。もしも書かれたテキストが全部嘘だったなら、私の中でルリハさんの姿が像を結ぶことはない。でも、それが嘘ではないってことを、当時の私たちはどうしてか固く信じることができていた。

芸能人でもクリエイターでもない私たちはなぜか自分の「日記」をメインコンテンツとしてこまめに公開しており、もちろん知られたくない情報は隠すし言えないことは書かないけれど、それ以上の、なんというか「他人に読ませる技法」みたいなことには全然無頓着だった。身の回りで起きる日常の事件が内輪ネタだという自覚もあまりなくて、クラスの友達に話して聞かせるくらいの気安さと説明の少なさで書き散らしていた。そのかわり読むほうも読むほうで、多分そんなことはほとんど気にしていなかった。書いてあることの中身より、文章全体から湯気のように立ちのぼる喜怒哀楽の気配と、その人が選んで身にまとう言葉のファッションセンスを楽しんでいただけだったのかもしれない。だけどだからこそ、そんなふうにして読める文章が嘘のはずはない。というのが当時の、(少なくとも私の周辺での)90年代後半インターネットの醍醐味というやつであった。

インターネットの世界は現実の世界と同様に広くて狭く、狭くて広い。私とルリハさんが所属するコミュニティはほんの一部分で重なり合っているだけで、たとえばルリハさんの日記に頻出する飲み仲間「夕涼さん」のパーソナリティを、ルリハさんが日記に書いてくれる(ルリハさんより2つ歳上で爬虫類とモデルガンに詳しい)以上の情報を、私はほとんど何も知らない。ネット上ですら言葉を交わしたことがない夕涼さんは私にとって長らく、読んでいる小説に出てきた愛嬌ある登場人物のひとり、くらいの存在でしかなかった。

ある日、いつもだったら最低でも300字以上は日記を書き連ねるルリハさんが、とても短い更新をした。一字一句正確にとまでは覚えていないけれど、書かれた内容と、いかにもルリハさんがしそうな言葉選びは思い出せる。

わたしにはこれからも楽しかったり楽しくなかったりする日々がしばらく続くので、
このログも毎日更新されるニッキに流されていずれ埋もれてしまうのでしょうが、残させてください。
夕涼さん。さようなら。

どこにも何も具体的なことは書かれていないのに、一読してすぐに訃報だとわかった。小説の登場人物程度にしか知らない赤の他人の遠い遠い死は、日記の愛読者だった私にとってもそれなりにショックだった。と同時に私は、近しい誰かの訃報に対してこんなにも端的な言葉を書き残すことのできるルリハさんを本当にすごいと思ったのだ。

死んでしまった人はそこで止まる。生きている人は、どんなに悲しい別れであろうと、それからもずっと動き続ける。いつまでも悲しんでばかりいられない…というのは決して慰めだけの言葉ではなくて、そこにとどまって「いつまでも悲しみ続けること」が許されない生の残酷さをも同時に言い表している。「また元のように笑える日」はこちらが迎えに行かずとも、追い立てるように向こうからやって来るのだろう。そのことにルリハさんはとても自覚的だった。

その後ルリハさんは、プロバイダー変更による2度3度のホームページ移転を経てリンク先がわからなくなり、一度も会うことのないまま関係が途絶えた。私が演劇に興味を持ち出したことも、東京に出てきたこともルリハさんは多分知らないだろうし、ルリハさん自身も今なお東京にいるのかどうかわからない。実家のある大阪に戻ったかもしれないし、仕事の関係でどこか他所の都道府県へ移った可能性もある。まだ存命で、できればお元気でいてほしいなとは思う。思うくらいしかできないんだけど。

これを書いてから数日も経てば、私はきっとルリハさんのことも夕涼さんのことも再び忘れてしまうだろう。だけどログは残っていたのだ、私の頭の中に20年以上もの月日を隔てて。

「わたしにはこれからも楽しかったり楽しくなかったりする日々がしばらく続く」という言葉が、無意識のずっと底のほうから、今でもたまに背中を叩いてくれている。