こじんじょうほう

ここでは普通の話しかしません

おすしが静止する日

ときおり発作的に「○○(店名)が食べたい!」という気持ちになって最寄りの○○へと赴くが、いざ現地に着いてメニューを開くと具体的にこれを食べたいという品が見当たらず、でも一度暖簾をくぐってしまった以上は何か注文せねばならず、釈然としない食事で腹だけ満たして帰路につく…といったケースが増えた。食欲や物欲が消え去ったわけではなくて、食べたいものは確実にあり、しかしその「食べたいもの」には具体的な名前や形や味がともなわない。中空に浮いたユートピアとしての食事、ありもしない幻影の香り、イデアとしての美味、そういったものを追い求めるみたいに生きている、最近はずっと。

 

思い返せば一度だけ、父の知人が板前をつとめる回らない寿司屋へ連れて行かれたことがある。その日は両親とも金に糸目はつけないと決めていたのかもしれないが、四則演算をそつなくこなせても家計の心配までは頭が回らない成長期の小学生の食欲は正の無限大に発散する。親子三人で食べた皿を縦一列にスタッキングし、行儀悪くも椅子の上に足を乗せて背伸びしながら、店の天井に届く高さまで寿司をたらふく食べた記憶だけがある。

あのころの自分は何貫も何皿も、そんなにまでしていったい何を食べていたのだろう。加齢とともに量を受け付けなくなってゆく身体、それでも口から入って喉を通り過ぎるまでの「味」という束の間の快楽に身を委ねようとする心。アンバランスなアンビバレンツで張り裂けそうになりながら、30年後のきみは今日も胃薬を飲むのだ。

現在住んでいる家の近くには「はま寿司」と「くら寿司」がある。どちらも徒歩で20分ほどの距離になるが、駅とは逆方向に位置する「くら寿司」に対し、駅の改札をくぐらず直進した先にある「はま寿司」のほうが利用頻度は高い。高いといっても年に数回行けば行ったほうではあるのだけれど、はま寿司は「醤油の種類が豊富」という他の回転寿司チェーンとは一線を画すアプローチで独自性を主張している点にロックンロールを感じて以来、なんとなく気に入っている。

「回らない寿司」というワード自体は富裕と安定の象徴として、物心ついた頃から何度も耳にしてきたし、そうした生活を夢見ていた時期もかつてはあった。しかし時代は変わる。時代とともに価値観は変わり、価値そのものも変動する。自身の年収が回らない寿司を食う資格を得るよりもずっと早く、こんな方法でその日を迎えることになるとは思わなかった。

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前回行ったときは単純にレーンの回転が停止しているだけだったはずなのだが、久しぶりに訪れた「はま寿司」は改装が施され、レーンそのものが廃止されていた。ふだん滅多にこんな言い回しはしないのだが「は?マ?」という言葉が口をついて出そうになった。そこまで計算して付けられた店名だとしたら大したものである。

ひしゃげた下弦の月のようなパーツを組み合わせて作られた、店内を複雑にうねりながら循環するあのレーンが今はどこにもなく、そこにはカウンター席と平行線を描く一方通行の真っ白なベルトコンベアーがあるのみであった。注文はすべてタッチパネルで行い、数分もすればあちらのお客様からですの要領で魚の切り身と少量の酢飯が直線上をスライドして運ばれてくる。海の幸のくせに、まるで飛行機の滑走路だ。手に取る寸前で空へと飛び立ち、そのまま銀河鉄道か神話にでもなってしまうんじゃないかと不安になる。

すっかり様変わりしてしまった「はま寿司」のカウンターにはしかし、なおも豊富な種類の醤油瓶が置かれていた。だし醤油に刺身醤油、濃口醤油、日高昆布醤油ときてポン酢。善き哉。しかし再び時代は変わる。時代とともに価値観は変わり、価値そのものも変動する。タッチパネルのメニュー表をスワイプで捲れば捲るほど、その疑念は大きくなるばかりだった。

たらマヨ、から揚げ軍艦、まぐろアボカド、まぐろはらみ炙りゆず塩、ハンバーグ、カリフォルニアロール、合鴨オニオン、ローストビーフガーリックソース山わさび、天然赤えび塩レモン、生ハム、炙りえびマヨ、

これは老兵の昔語りと話半分に聞いてほしいものだが、私が幼かったころ、わさびは成熟の象徴であり、わさびをつけて食べる寿司こそが大人の嗜みであるとされていた。しかし今は原則サビ抜き、辛味に抵抗なき者だけが必要量のわさびを手にせよという制度に変わった。私が幼かったころ、寿司といえば魚介類だけの独占市場だった。現在では当たり前に市民権を得ている肉寿司などというものは影も形も概念もなかった。私が幼かったころ、寿司にマヨネーズをかけるなど邪道とみなされており、大人たちが鯖や雲丹に舌鼓を打つ傍らでサラダ巻を食することは子供だからと目溢された特例であった。上京してから初めて出逢ったオニオンサーモン、衝撃的だったなあ。感動したなあ。それから、それから、私が幼かったころ…

寿司の歴史は長い。決して昨日今日で発明されたものではなく、やがて忘れ去られてしまうような一時的流行でもない、普遍性を帯びた食べ物である。だが同時に寿司は、時代の変化に合わせて多様性を吸収し、自身をアップデートすることも怠らなかった。そもそも「普遍」とは得てしてそういう態度からこそ生まれるものではないか。しかし。それでも。だとしても。

直火焼き牛カルビマヨ、青森県産ほたて炙り塩レモン、炙りたまごチーズ、とろびんちょう旨辛ネギ盛り、海老と5種野菜のかき揚げ握り、広島県産カキフライ軍艦(お好みソース)、広島県産カキフライ軍艦(タルタルソース)、

わざわざ醤油をつける必要のあるものが、ちと少なすぎはしないか?

最初から別の味つけがされている、あるいは、醤油と反りの合わないネタが気づけばメニューの半数近くを占めている。卓上に置かれた種々様々の醤油たちはすっかりベンチウォーマーと化している。こんなはずじゃなかった。あの日、東梅田の回らない寿司屋で天まで届けと皿を堆積させたあの日、私は、ぼくは、そんなにも何を食べていたのだろう。生の魚が大好きな子供では決してなかったのに、そんなぼくを飽きさせないだけの品数が、あそこにはあったはずなのに。

揚げたてポテトチップス、濃厚!北海道味噌ラーメン、コーヒーフロート、安納芋モンブラン、種なしまるごと白ぶどう、

ちょっともうよくわからない。ここは一体どこなんだ。低速で動きつづけるレーンの上を時おり回遊してくるチーズケーキが無性に美味そうに見えることは確かにあった、あったさ、その誘惑に負けて〆でもないのに皿を手繰り寄せてしまったことだってあるさ。でも寿司を食べようとして来た寿司の専門店でタッチパネルを操作してまで、従来の2倍近い速度で直線を滑走して運ばれてくる種なしまるごと白ぶどうを食べたいとは、どうしても思えないんだ。せめて回転してさえくれれば、きみを手に取ることも可能だったかもしれなかったのに。寿司たちよ、それから寿司以外のすべてのものたちよ、お願いだから回ってくれ。これは祈りだ。僕は祈る。

加齢とともに量を受け付けなくなってゆく身体、戸惑いを隠せないまま何を食べればいいのか見失ってしまった心。かつてあんなにも焦がれたはずの「回らない寿司」は総額660円で済んでしまい、釈然としない帰路につく。まだ遠いユートピアの蜃気楼を夢に見ながら、きっと明日も私は釈然としない何かを食べて生きるのだろう。